ヘッダーイメージ 本文へジャンプ
明日を創る 日本を創る 4

「元気」な街を創るために   伊藤ひろたか
早稲田大学大学院理工学研究科修了後、日経BP社を経て、平成19年に横浜市議会選挙に初当選。翌年には全国の地方議員が応募する、第3回マニフェスト大賞にて、最優秀アイデア賞を受賞。


BOSCHが日本の中で 横浜を選んだ理由

 ホームページ上に、横浜を元気にするための政策をいくつか掲げられていますね。

伊藤 横浜の最大の課題は、皆都内に働きに行って、都内でお金を落として帰って来てしまうことです。  
 横浜にもよいものがあるのに、それがしっかりPRされていない。それをしっかりPRするためには先ず観光政策を作らなければいけないし、都内に勤めに行っている人達が、横浜で勤められる状況を整えて行かないといけないので、企業誘致が必要になります。これらを進めて行くには、道州制を導入し地域が主権を持って行かなければいけません。  

 企業誘致についてもう少し詳しく聞かせてください。

伊藤 可能性があると思っているのは、国内の企業ではなくて海外の企業です。横浜の都筑区に、BOSCHというドイツ系の自動車関連で有名な企業があるのです。そこでなぜ横浜を選んだのか聞いてみたのです。  
 その答えは「横浜は教育環境が整っているから」というものでした。横浜市にはドイツ人学校があって、幼稚園から高等学校まで、ドイツと同じ教育環境が整っているのです。そのため子どもを連れて日本に来たドイツ人も安心して仕事ができるというものでした。  
 その観点で横浜市を見た場合に、フランス人学校も、インド人学校もあり、中華系は、台湾系と本土系がそれぞれあります。またインターナショナルスクールもあり、教育環境は非常に整っています。  
 ただ問題は、先般の震災によって、そもそも日本に進出するという選択肢がなくなる可能性があるということです。

 日本の良さを再認識しようということも言っておられますね。

伊藤 横浜に関して言うと、横浜の歴史が全く整理されていないのを感じます。関内駅から海側を関内、逆側を関外と言うのですが、関内には明治維新の時に外国人居留地があったのですね。その関所が「関内」という地名の由来になっています。ですから関内には明治維新以降の歴史ある建物が多く残っています。  
 また関外の歴史は、第二次世界大戦が終わってから、米軍がずっと居留していた地域なのです。そのため横浜は東京に比べて戦後復興が遅れました。米軍が立ち退いた後に、戦後復興住宅として、日本でも数少ないコンクリートの長屋が立ち並びました。これは今全国に320棟あり、その内の190棟が横浜にあります。これらは貴重な横浜の歴史です。  
 私がこれから横浜でやりたいと思うことは、例えば山口県の萩に行けば明治維新の息吹を感じられるように、横浜の関内に来ると明治の文明開花から戦前までを感じられて、関外に行くと戦後の横浜が感じられて、みなとみらいに行くと今の横浜とこれからの横浜を感じられるようにと、エリアの特長を明確に出す街創りを進めることです。


明治維新とは逆のことを 目指すこれからの時代

政策を進めるにあたって困難な点はありますか?

伊藤 日本の政治の体質として、目の前に見えていることにしか予算を組まないという点があります。「今年ある花火大会にいくら使おう」とか、そういったことだけでは未来を創ることはできません。5年、10年経った後に横浜がどう賑わっていて欲しいのかという視点に立った街創りが、少しずつ始まってはいますが、まだ体系立っていません。

元気になっている横浜はどんな街でしょうか。

伊藤 とにかく街を歩いている外国人の数を増やしたいですね。横浜は国際都市と謳っていますが、残念ながら街を歩いてもそれほど外国人には会いません。公用語も日本語だけではなくて、英語もフランス語もハングル語もあるくらいがよいですね。横浜に行くと異国情緒が感じられると思えるような街にしたいですね。

今後の展望を聞かせて下さい。

伊藤 明治維新は中央集権を目指した動きでしたが、これからはその逆のことをして行かなければいけないと思います。  
 地方の足腰が弱くなってしまっているので、せめて、札幌、仙台、横浜、名古屋、大阪、福岡の各都市は自立して経済を廻して、人を呼び込める都市になって行かなければ、日本が廻って行かなくなると思います。日本人は優秀なので、よいモデルがあればあっという間に真似をします。   
 そのモデルは霞が関には創れません。地域への理解が必要だからです。彼等の視点は常に日本全体です。横浜を元気な街にして、成功モデルを創り、各都市が「横浜を見習って街創りをしていこう」と思えるようになるところまで持って行きたいと思っています。 (取材、文 稲生永明)


フッターイメージ